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ブレグジットのデメリットが報道される事が多いが、何故そこに至る決断をイギリスがしたかはほとんど報道されていない

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ブレグジットのメリットとデメリットについては、以下のブログ記事に優しい説明があります。御覧ください。

今さら聞けない「EU」のメリット・デメリット。 | TABI LABO

 

 とにかく、ブレグジットによって起きるであろう様々な事象や影響をマスコミは書き続けている、またテレビで報道されている。

だが、そもそも何故このような決断をイギリスが下すに至ったのかという原因や経緯については、もはや過去のことだとでも言うようにスルーし続けている。

だが、私たちはこの原点を見逃さず、そこに立ち返って見る必要があるだろう。

 

 

 

イギリスがEU離脱した理由 - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

2016.06.24

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イギリスのEU離脱を問う国民投票の結果、イギリスがEUを離脱することになりました。TwitterやメルマガでイギリスのEU離脱については書いてきましたが、残留予測の人が多かったにも関わらず、なぜイギリス有権者が離脱を選択したのかを疑問に思う方も多いでしょう。離脱の理由は、ヨーロッパを理解する上で、テック業界の方にも重要な事だと思いますので、以下まとめました

そもそもEUってなによ?

ところでなぜイギリスが離脱したかを理解するには、そもそもEUとは何かを理解する必要があります。

EUというのは欧州連合(European Union)のことです。地域統合体と呼ばれる組織で、主権(自分で自分の国のことを決める、独自の法律がある、固有の領土と国民を持っている)を持った国家が集まった組織です。

ヨーロッパというのは、様々な民族が集まった土地で、昔から領土争いや宗教紛争などが絶えず、一年中戦争を繰り返していました。時には中東や北アフリカの人々とも大げんかしています。

しかし、そういう争いばかりのヨーロッパにうんざりした人の中には、「戦争が起こらないようにヨーロッパを一個の国みたいにしちゃえばいいんじゃない?そしたら、国境引き直したりする必要ないでしょ」と考える人達が出てきました。

例えば、オーストリアの伯爵であるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー等の「国際汎ヨーロッパ連合」という思想です。(ところでカレルギーの母親は日本人の青山みつさんです)第一次大戦後のヨーロッパは疲弊していましたが、ロシアに対抗する必要がありました。そこで、ヨーロッパの国々が結束しようではないか、という考え方です。

この考え方は理想主義だったので実現に至りませんでしたが、その後、第二次大戦後に欧州経済協力機構(OEEC)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州審議会(Council of Europe)などが設立されて、EUの母体となりました。

これらが設立された理由は、第二次大戦後のヨーロッパは戦火のためにひどい状況になっていたので、そのような惨禍が起きないように、各国が協力し合いましょう、というものでした。

地域内の関税を下げて経済を活性化させること、軍事同盟を結んでアメリカと協力した上でドイツの再軍事化を防止し、ソ連に対抗する、という目的がありました。そして、特にドイツは世界制覇したいという意味不明な野望があった困ったさんなので、二度と悪さをしないように監視したかったのです。

現在のEUは、加盟各国の代表が欧州議会で様々な事柄を決め、経済、金融などの分野で、加盟国すべてが従う必要がある「きまり」を作ったり、利害の調整を行う場になっています。情報通信業界に関しては、プライバシーや情報管理に関する規制、携帯電話の通話料金などの規制が「きまり」にあたります。

活動の中には、ヨーロッパ内での貿易の障害となる関税や規制を撤廃、域内の市民の移動や仕事の自由を保証して経済を活性化させる、農業への補助金を出す、多国籍な研究プロジェクトへ資金を出す、国を超えて犯罪の取り締まりを行う、国を超えて環境を保全する等も含まれます

なぜイギリスはEUを脱出したかったのか?

しかし、イギリスは、なんだが良さそうなことをやっているEUを辞めたくて仕方がありませんでした。

それにはいくつか理由があります。

まずEUは加盟国の間の経済格差が凄まじいからです。

豊かな国はお金を出すばかりで、貧乏な国に、補助金などの名目で吸い取られてしまいます。これはカツアゲと同じです。例えばスペインやギリシャの高速道路は、ドイツやイギリスが出したお金で作られています。しかし、そんなものを作っても、ドイツやイギリスには大した利益がありません。イギリス的には、貧乏なギリシャはそんなものはテメエで作れと思っています。

そしてイギリスはEUにお金を出しているのに、EUからの補助金や研究予算で賄われたイギリスの科学技術研究はたった8%です。テック業界的にもEUはあまり役に立ってないんじゃないか、という考え方の人がいました。

EUのバカらしい法律

EUの最初の目的は、そもそも関税障壁を撤廃して、域内の経済を活性化することでした。しかし、EUは役所として肥大化してしまい、次第に、わけのわからない法律を作るようになりました。

そのような法律の少なからずに実現性がなく、各国の事情を反映していないので、ビジネスや法務にとって大きな足かせになっています。

例えばタンポンの消費税を決める法律掃除機の吸引力がすごすぎてはいけない、ゴム手袋は洗剤を扱えなければならない、スーパーで売られるキュウリとバナナは曲がっていてはいけないミネラルウオーターのボトルには「脱水症状を防ぎます」と書いてはならない等です。

なぜこんなバカげた法律がたくさん作られるかというと、EU関係者には、様々な企業や政府内部の人が、ロビーストを使って圧力をかけているからです。ロビーストというのは、お客さんからお金をもらって、政治家やマスコミを使って、作られる法律をお客さんの有利にする弁護士や広告代理店やコンサルタントのことです。

こういう法律があるおかげで、ヨーロッパの掃除機の吸引力は低く、部屋がなかなか綺麗になりません。部屋があまりにも汚いので、こんな規制が必要だと思っている人は誰もいません。

EUの役人はこういうバカげたことを決めるのに多大な時間とお金を費やしています。でもEU関連機関の役人の給料は大変高く、待遇は国連よりも遥かに良いのです。

例えば2014年にリークされたデータによると、AD-11というジョブランクの中間管理職の年収は1600万円程度です。この年収には住宅手当や子ども手当が含まれますが、国際機関職員という特殊な立場なので、所得税は13.4 %とEU諸国よりも低いため、手取りは1250万円で、これはイギリス首相の手取り給料よりも高くなります。80%のEU職員は駐在手当も受け取っており、家庭手当と合わせると、中間管理職の場合、総計は月に20万円になります。

こういうお給料を維持するために、意味不明な仕事を沢山作らないといけません。だから掃除機の吸引力はとても重要です。

その他、例えばEUのデータ保護指令というIT関連の規制は、データセンターの個人データはEU域外に保存してはいけません、といっていますが、しかし現在はクラウドやインターネットの発達で、データは世界各地に保存されていたりしますので、全くナンセンスなことをいっています。そういう規制に対応するために、テック業界の人も困り果てていることもあります。

イギリスで話題になるのがEU人権規約という法律で、これは、EU域内で守られるべき人権を規定したものですが、その内容があまりにも理想的かつ大雑把なので、それを悪用して訴訟を起こす人がいるので、会社や役所は困り果てています。例えばパブで転んで怪我したのはEU人権規約違反だから5億円払え、とかそういう話です。

貧乏国の人がイギリスに来てしまう

イギリスが特に困っているのは、EUから移民が来てしまうことです。EUは域内の国籍を持った人なら、どの加盟国に住んでも働いてもいいですよ、ビザは要りませんよ、というルールを決めてしまいました。

これは最初は良い考え方だと思われていました。なぜなら、働く気のある人、優秀な人は、ビザを取る必要なく好きな国で働けます。お金がある人は、好きな国に別荘や家を買って住むことが簡単になります。人が動くと経済が活性化するはずでした。

ところが、実態は、貧乏な国からお金持ちの国に人が大量に移動しただけでした。

なぜなら、EUにはルーマニアブルガリアのような貧乏な国も加盟してしまったからです。ルーマニアブルガリア平均月収は4−6万円ぐらいです。田舎に行くと現金収入が殆ど無いに近いこともあります。

私のブルガリア人の知り合いは、実家は田舎で農家ですが、野菜や豚を飼育し、一族が食べる肉は、年に一回潰す一頭分の豚です。現金収入は月に5,000円ぐらいです。

ドイツやイギリスのようなお金持ちの国に行けば、5倍、10倍のお金を稼ぐことができます。イギリスは最低賃金で働いても月に25万円ぐらいは稼げます。ロンドンなどの大都市の路上で物乞いをやると、一日に10万円ぐらい稼げることもあります

しかも、EUの人権規約や(は?)差別を禁止しています。EU国籍ならどの加盟国にも住めますその国の人と同じように、無料の病院や無料の学校を使う権利もあります公営住宅に住んだり、生活保護子ども手当をもらうことができます。銀行の口座も開けるし、当然会社で働くことも可能です。

例えば一ヶ月に三万円ぐらいの子ども手当をもらったら、自分の国では、それは店員の一ヶ月分の給料に当たることもあります。ルーマニアで浮浪児を探してきてイギリスに送り、子供手当を送金するというビジネスをやる人まで登場しました。

そういう状況なので、働く気がない人も、やる気のある人も、貧乏な人も、イギリスやドイツにどんどん移動してしまいました。

その結果何が起こったかというと、イギリスには一年に18万人もの人がEUから来るようになりました。来た人は働いたり住む目的で来るので、全員が国に帰るわけではありません。ルーマニアブルガリアからは年に5万人ぐらいの人が来ます。イギリス統計局によれば、イギリス在住のポーランド人の人口は2004年には6万9千人でしたが、2011年には68万7千人に増えています

EU以外からの移民も合わせると、一年に30万人もの移民が来るようになりました。イギリスにこんなに移民が増えたのは2002年以後ぐらいで、1980年代には移民の数はマイナスで、イギリスから出て行く人の方が多かったのです。

イギリスの人口増加は移民の増加と、移民の出生率の高さに依存しています。イギリス統計局によれば、2015年にはイギリスの人口は一年で50万人増加し、その3分の2は移民の増加によるものです 。今後25年の間に人口は970万人増加し、その51%は移民による増加です。

2013年にはイギリスで生まれる子供の26.5%は母親がイギリス以外の国の生まれでした。ロンドンや大都市はその割合が高くなります。例えば、国民投票投票率がイギリス一低い59.2%で、残留が53%だったロンドンのNewhamは、オリンピック会場のあるところで、金融街の近くにある地区ですが、イギリス以外で生まれた母親の割合が76.1%とイギリス一です。移民は出生率が高いのも人口増に貢献しています。イギリス生まれの女性の2013年の合計特殊出生率は1.79で、2012年の1.9より低下しています。一方で、イギリス以外の国で生まれた女性の2013年の合計特殊出生率は 2.19でした。

UK long term net migration

出典:イギリス統計局 Migration Statistics Quarterly Report: May 2016

政府はこんなに人が来るとは予想してなかったので、病院や学校が対応しきれなくなりました。病院は国の税金で運営している所や、自治体の補助金も合わせてやっているところもありますが、国立で治療費が無料なので、予算が決まっています。治療すればするほど予算は減り、人が来れば来るほど苦しくなるという仕組みです。

人が急激に増えたので、家は足りなくなり、電車やバスは大混雑するようになりました。電車は元々古い線路を無理をして使っているので、人の急増に対応しきれなくなり、遅延や故障が当たり前です。電車賃は毎年値上がりしています。

家の値段が上がったので、ロンドンのような大都市では普通のサラリーマンが家を買えなくなってしまいました。新卒の人が1DK中古を買おうとすると、頭金を貯金するのに24年も働かなければなりません。移民が増えた病院や学校を嫌って、元々地元にいた人達は、田舎に引っ越して行きました。不動産の値段が上がってしまったのも理由です。

EUからやって来た人々の全部は、投資家とかエンジニアとか医師ではありませんでした。ごく簡単な仕事しかできないような人、無職の人、英語やドイツ語が全くわからない人が含まれていました。ビザを取得する必要がないので、英語の試験もないからです。EU以外から来る人達には、資格の審査などがありますし、永住権や配偶者ビザを取るには、英語、高速道路の制限速度や、イギリスでは女性をむやみに殴ってはいけませんなど、イギリスに関する知識の試験があったりします。

EUとイギリスの法律は差別を禁止していますので、言葉がわからない人達には、お役所のお金で通訳を手配しなければなりません。イギリスの国立病院は年に34億円を翻訳や通訳に費やしています。人は増えるのに、入ってくる税金はそれほど増えません。予算不足で病院や学校のレベルはどんどん低下していきました。

離脱派が71.4%だったFenlandという町は人口9万7千人ほどで、農業中心の小さな町です。保守党支持の人が過半数を占めます。この町にあるOrchards Primary Schoolという小学校は、生徒の半分が英語を話しません。生徒が急増したために校舎を拡大しました。

Fenlandの様な自治体では、移民により人口が急に増えても、中央政府に予算を請求する際に使用する人口統計データには、増加数がすぐには反映されないために、公共サービスを提供する予算が人口の実数に合致しません。移民の中には国税調査に記入しない人や、短期滞在で自国と行き来を繰り返す人もいるので、実数を把握するのが難しいこともあります。

こういう小さい町は、ロンドンやマンチェスターのような大都市と違い、外国人に慣れていません。また、農業中心の小さな町なので急激に増えた人口や、外国人向けのサービスの提供をするだけの余裕がありません。

スコットランドのグラズゴーという町にあるAnnette Street Schoolは、生徒数222名の小学校ですが、スコットランド出身の生徒が一人もいません。222名の生徒のうち、181名がルーマニアもしくはスロバキア出身です。生徒は英語がわからず、先生は生徒の話す言葉がわからないので、授業が成り立ちません。しかし政府の教育予算不足のため、「英語」を教えるための教材すら手に入りません。教材入手はクラウドファンディングに頼っています。

イギリス内務省(Home Office)の2013年の研究によれば、留学生や技能の高いEUからの移民は、病院や学校などの公共サービスにおよぼす影響が低いと述べています。一方で、技能の低い移民は、自治体によっては、公共サービスに及ぼす影響が大きいとしています。さらに、かつては外国人が多くはなかった自治体は、外国人移民の融合がうまくいっておらず、問題が起きているとしています。

例えば、この研究で「移民労働者の町と田舎」(Migrant Worker Towns and Countryside」と分類されている自治体は、離脱派が過半数でした。

Bostonは、サッチャー首相の出身地であるリンカンシャーという緑豊かな田舎町で、人口は6万5千人ほどですが、離脱派が75.6%と、今回の国民投票で最も高い割合でした。

うちの家人は1984年にこの街で休暇を過ごしていますが、当時は外国人が殆どいませんでした。しかし、EUの移動の自由と居住の自由が始まると、大勢の移民がやって来ました。この町は農業や工場が経済の中心なので、農家は働き手が必要です。最低賃金かそれ以下の賃金で東欧の人を雇う雇用主が増え、賃金が下がってしまったので、地元の人達は他の町で働くようになりました。最低賃金では生活できないからです。

安い賃金で働く移民は次々にやってくるので、賃金は上がらず、町には移民がどんどん増えるという状態になりました。

現在は人口の15%が外国人で、そのうち11%は、EU国籍で、新規加盟国であるポーランドリトアニアなど東欧からの移民が多いです。2011年のイギリス国税調査によれば、イギリスにおいて最も東欧移民の割合が高い町です。イギリスのシンクタンクであるPolicy Exchangeは、この町を「イギリスにおいて最も外国人が融合していない町」の一つに上げています。

「移民労働者と田舎」に分類されたその他の町も、離脱派が過半数であり、Dover(62.2%)、Fenland (71.4%) Rugby (56.7%) という結果になりました。いずれも、近年、急激に外国人が増えた町です。

イギリス内務省(Home Office)の2013年の研究は、急増した移民の大半はロンドンを中心とする南部に集中しているが、Rotherham(離脱派67.9%)や Oldham(離脱派60.9%)のような失業率の高い工業都市に大きな影響を与えているとしています。

移民の多くはイギリスの人々より子沢山なため、助産師や病院にとっての負担も大きくなるとも述べています。移民の急増により、自治体は学校の定員増加に悩み、賃貸住宅の賃貸料は高騰するとも述べています。

2011年2月に実施されたイギリスの世論調査では、大人の75%が移民問題を経済に次ぐ重要事項とし、「移民は問題だ」と述べています。また移民は問題だと答えた人の44%は、そのように考える理由は「公共サービスへの負担の増加」と答えています

こういう状況に怒った人達が多いので、イギリス政府はEU以外からの移民を厳しくするようになりました。しかしEUから来る人にはアナタは来ちゃダメです、とはいえません。いったらEUから怒られるからです。

その代わりに、カナダ、アメリカ、日本、中国、オーストラリア、シンガポール、インドといった国からの移民を厳しく規制しました。しかし、こういう国から来る人達には、エンジニアや医師、研究者、投資家、起業家などお金を稼いでくれる人や、地元の企業が必要な人も沢山いました。2011年には非EUの国から来る高度技能労働者に発行されるT2というビザは、年に20,700に制限され、最低年収も制限されるようになりました。

掃除機で有名なジェームス・ダイソン卿によれば、イギリスの大学学部の理系学生の60%はEU以外から来た留学生で、イギリスの大学で科学技術研究に取り組む人の90%がEU以外の人々です。

優秀な人が来るのが大変になってしまったので、困った会社が出てきてしまいます。こういう人達は、福祉に頼ることもなく、一般常識もあるし、英語も上手なのに移民できないのです。EUの移動と居住の自由が導入されたことで、日本で博士号を取得した科学者が移民するよりも、無職のスペイン人が移民するほうがはるかに簡単になってしまいました。

労働党の国会議員で、元外相のジャック・ストロー氏は「イギリスの国境を東欧からの移民に開放したのは壮大な間違いであり深く後悔している」と答えています

EUに残りたい人の言い訳

こんな風にEUはイギリスにとってあまり良いことがありません。辞めたいという人も多いのですが、一方で、残りたいという人もいます。残りたい人達の言い分は、EUにいた方がビジネスがやりやすいし、色々な人がイギリスに居ることは良いことだよ、です。

しかし、イギリスはEUから物を沢山買っていますし、ヨーロッパの他の国はイギリスに色々売りつけたいので、EUを辞めたからと言って、それほど困ることはなさそうです。

それに、EUから人が来なくなるなら、今度は、優秀な人だけを来ていいですよ、という仕組みを作ればいいだけの話なので、これも、あまり困らなさそうです。

シリアの移民はドイツが面倒を見ますといいはっているので、イギリスは何もする必要がなくなるでしょう。

EUで働いている人は、元々あまり仕事をしていませんでしたが、イギリスの離脱により失業すればせっせと働くようになるでしょう。

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日本に当てはめても、なかなか考えさせられる内容です。

もうひとつ、次の過去記事もいかがでしょうか。

こちらの方のまとめも重要な示唆を与えてくれると思います。

 

 

【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか(笠原 敏彦) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

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2017年、欧州連合EU)は英国との離脱交渉という未知の領域に踏み込む。戦後脈々と続いてきた欧州統合プロジェクトの一大転換点である。

メイ英政権は3月末までにEUに離脱を通告すると表明しており、英国内の手続きが順調に進めば、両者は2年を目処に交渉に入る。

交渉開始を前に、英国がEU離脱の道を選択した事情を、主権国家を取り巻く国際潮流の激変などの文脈で振り返りたい。

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英国は2016年6月23日に行った国民投票欧州連合EU)からの離脱を決めた。投票結果は、離脱支持51・89%、残留支持48・11%という僅差だった。

オバマ米大統領ら各国の指導者が残留を求め、国際通貨基金IMF)や世界銀行が離脱した場合の多大な経済的損失を警告する中での英国民の選択だった。

そして、その選択に国際社会は衝撃を受け、最大級の驚きを示した。世界の目には、英国のEU離脱は政治的、経済的合理性を無視した「崖から飛び降りる行為」に映ったようである。

残留=正解、離脱=誤り。国際社会の反応はこうした評価の表出であろうが、果たしてそう言い切れるのだろうか。

筆者には、英国のEU離脱は21世紀初頭の国家統治と国際秩序、グローバリゼーションの「歪み」を反映した結果にほかならないように思える。

市場が政治を動かし、短期的な経済的利益の観点から価値判断がなされる傾向が強まる中で、英国民はより本質的な政治決断をしたのではないかということだ。

国民投票への経緯

現在の国際秩序は、政治・安全保障面では米同時多発テロ(2001年)とその後の米国主導の対テロ戦争、経済的には米国発のリーマン・ショック(2008年)が震源となり大きく流動化している。英国の国民投票への動きもこの流れの中で始まった出来事である。

自らはEU支持者であるキャメロン英首相(当時)が国民投票を約束したのは2013年1月のことだった。リーマン・ショックに連鎖して起きた欧州債務・ユーロ危機とEU域内からの移民急増のダブルパンチで、英国内の反大陸欧州感情に火がついていたときだ。

キャメロン首相(当時)〔PHOTO〕gettyimages

英下院では与党・保守党の欧州懐疑派がEU離脱の是非を問う国民投票の実施を求める動議を提出し、EU離脱と反移民を掲げる右翼政党「英国独立党(UKIP)」が党勢を拡大して保守党の支持基盤を浸食し始めていた。

危機感を強めたキャメロン首相が打ち出した“裏技”がEU離脱の是非を問う国民投票である。事態がコントロール不能になる前に反欧州感情のガス抜きを図り、保守党内の欧州懐疑論ポピュリズムの増殖の芽を摘む狙いがあった。

EU加盟の是否というような一大政治課題は、国民投票のような形で明確に決着をつけなければ問題が尾を引き続け、英国を不安定化させるという懸念もあった。

キャメロン首相は離脱決定後、「後悔はしていない。英国の政治が先延ばししてきたEUとの関係をはっきりさせる必要があった」と語っている。

キャメロン首相の皮算用

国民投票を“裏技”と書いたのは、英国には国民投票の実施を義務づける法規定はないからである。

英国の国民投票は今回で3度目だが、特異な共通点がある。1975年のEC(欧州共同体、現EU)離脱の是非を問う国民投票、2011年の下院の選挙制度改革を問う国民投票と今回のいずれもが、政権が国民の現状維持へのお墨付きを得るために実施したものである。

日本では安倍晋三政権が憲法改正国民投票を視野に入れるが、英国の国民投票は、一般的にイメージされる制度変更を図るための国民投票とはベクトルが逆なのである。保守的な英国らしい、国民投票の活用と言えるかもしれない。

話をEU国民投票に戻すと、その実施には「2015年の次期総選挙で保守党が勝利した場合」という前提条件が付いていた。

保守党は2010年総選挙で13年ぶりに政権に返り咲いたが、下院で単独過半数には届かず、キャメロン政権1期目は自由民主党との連立政権だった。

キャメロン首相には、国民投票の約束によりEU問題を先送りするだけでなく、次期総選挙で保守党の単独政権を実現するための選挙戦略に利用するという隠された意図があったのである。

キャメロン氏には当然、国民投票を無難に乗り切れるという皮算用があった。1975年のEC国民投票では、67%の高率で残留が支持されたという経緯もある。

しかし、キャメロン首相が描いた楽観的なシナリオは大きく狂うことになる。

欧州を襲った2つの危機

キャメロン首相が国民投票を約束して以降、欧州は新たに2つの大きな危機に見舞われる。

2015年にシリアなどから100万人もの難民が欧州に押し寄せた未曽有の難民危機と、2015年11月のパリ同時多発テロなど過激組織「イスラム国(IS)」の影響を受けたホームグローン(欧州育ち)テロリストによる大規模なテロの続発である。

〔PHOTO〕gettyimages

EUは人、物、資本、サービスの「4つの移動の自由」を原則に掲げる。一連の出来事は、EUが「開かれた国境」という理想を掲げながらも、統治能力、危機対処能力が欠如していることを白日の下にさらけ出してしまった。

事態は欧州各国で反EU・移民のポピュリスト政党の台頭に拍車をかけ、英国でもEU懐疑論を強めていくのである。

* * *

EUは現在、創設以来、最大の危機にある。欧州債務・ユーロ危機以降、経済はほぼゼロ成長が続き、失業率は10%近く、ギリシャ債務危機という爆弾も抱え込んだままだ。

そこに追い打ちをかえるように起きた未曽有の難民危機、テロの続発……。調査機関「ピュー・リサーチ・センター」が今春、英仏独など欧州の主要10ヵ国で行った世論調査では、EUに好意的な意見を持つ人は51%しかいない。

近年、先進国における「民主主義の赤字」が指摘されるが、その最たるものがEUの統治制度だろう。

超国家組織であるEUでは、選挙の洗礼を経ていないブリュッセルのエリート官僚が巨大な権限を握って政策や規則を決め、加盟国はそれに従わなければならない。各国の選挙で選ばれる欧州議会はあるものの、立法権はなく、その権限は限定的である。

EUの規則は一説に2万に上るとされる。かつては店頭に並ぶバナナの長さやキュウリの湾曲率を定めたものまであり、「現場を知らないエリートの発想」と市民感情を逆撫でしたこともある。

そして現行の統治制度の問題点は、民主主義を担保する「説明責任」がどこにあるのか、極めてあいまいになっていることである。

議会制民主主義の母国・英国では、民主主義を育んできたという自負から、EUの非民主的な在り方への批判が強い。成文憲法を持たず、慣習法を尊重する英国が自国の最高裁の上にEUの欧州司法裁判所をいただくことは、EUによる「法的植民地化」だとの反発さえある。

狂ったシナリオ

EUへの逆風が強まる中、キャメロン首相も漫然と国民投票に臨んだ訳ではない。

キャメロン首相の対EU姿勢は「英国は『改革したEU』に留まる方がより強く、安全で、豊かになれる」というものだった。EUの現状を決して肯定していた訳ではないのである。

首相はこの「EU改革」に向けて2016年2月にEUとの交渉をまとめ、さらなる統合深化は英国には適用されない▽緊急事態にはEU域内からの移民への社会保障を制限できる▽EU規制緩和へ努力する、などの譲歩案をひき出した。

キャメロン首相はこのEUからの譲歩案を御旗に党内結束を図り、国民の支持を得ることを狙っていた。

しかし、譲歩案への評価は「実態は何も変わらない」などと芳しくなかった。

結果的に、保守党の下院議員330人のうちボリス・ジョンソンロンドン市長(当時、下院議員を兼務)ら150人近くが離脱派に回り、その中には閣僚6人が含まれた。離脱派の勢いは、キャメロン氏の予想を越えるものとなっていくのである。

 

キャンペーンでは何が争われたか

国民投票のキャンペーンでは、キャメロン首相率いる残留派は主にEUの共通市場を失うことによる「経済的な損失」の深刻さを訴えた。

それに対し、ジョンソン市長やマイケル・ゴーブ司法相(当時)らが率いる離脱派は主に「移民問題の悪影響」を強調、主権とEUへの拠出金(約85億ポンド)を取り戻すとアピールした。

残留派を支援するIMF経済協力開発機構OECD)などはマクロ経済的試算に基づく「巨大な損失」を次々に公表した。

「英国の2020年のGDPは3.3%減少する」(OECD)「離脱すれば各家庭は毎年4300ポンドの損失を被り、2年で50万人が職を失う」(英財務省)「離脱は欧州と世界の経済に深刻なダメージを与える」(IMF)といった具合だ。

 

しかし、エスタブリシュメント(支配層)側から出されるこうした警告は一部で「脅し戦略」と受け止められ、逆効果となったようだ。

保守系デーリー・テレグラフ紙に載った有権者の次の声がその国民感情の一部を代弁している。

「離脱がそれほど重大な結果を生むなら、キャメロン首相はそもそもなぜ国民投票をするのか」「有権者はバカではない。離脱に伴うリスクは理解している。しかし、我々は脅されて残留に投票したりはしない」

一方で、移民問題にフォーカスした離脱派のキャンペーンには、欧州難民危機やイスラム系移民の2、3世の若者によるパリやブリュセルでの大規模テロが追い風になる。

焦点となった移民問題

ここで少々説明が必要なのは、英国にとっての移民問題とは、シリアなどからの難民危機とは別次元の問題だということだ。

EU派が問題視しているのは、EUが2000年代に入って東欧諸国へ拡大したことに伴って急増したEU域内からの「欧州移民」である。

これは、域内自由移動の原則に基づき、より良い労働、生活環境を求める「労働移民」と捉えればよりイメージし易いだろう。ポーランドルーマニアなどEU域内からの英国へのこうした移民は、2004年~2015年までの11年間で100万人から300万人へと3倍に増えている。

背景には、英国が移民に対してあまりに寛容であったという逆説的な事情がある。

EUが2004年に東欧など10ヵ国を新規加盟させた際、加盟国は新規加盟国からの移民に対し7年間の就労制限を認められた。ほとんどの加盟国がこの権利を行使する中、当時のブレア英労働党政権は東欧からの移民に門戸を開放する政策を取ったのである。

キャメロン首相は2010年の政権発足時に移民の規模を「年間数万人」に押さえると約束したが、昨年の英国(人口6400万人)の純移民増は36万人にも及ぶ。うち、EU域内からの移民は18万4000人。その規模は、大学都市として知られる英南部オックスフォードを優に超えるものである。

社会保障や教育面などで自国民と同等に扱わなければならい人口が1年間でこれだけ増えることのインパクトは想像に難くないだろう。そして、欧州移民と雇用や公共住宅の確保などで競合する労働者、低所得者層を中心に、英国では反EU感情が急速に高まってきたのである。

EU離脱派の国民にとって、欧州移民の急増は「国境管理」という主権をEUに移譲したことに伴う「国家の無力さ」「将来への不安」を身近に感じさせるものと映った。

この国民の不安を煽る離脱派のキャンペーンに対し、キャメロン首相は、EU加盟を継続しながら移民問題にどう対処するのか具体的な対策を示すことができなかった。

英国と大陸欧州の心理的な溝の深さ

とは言っても、移民問題は反EU感情を引き起こしている現象面のエピソードに過ぎない。英国の大陸欧州との関係を考える際、見逃せないのは、両者を分断する心理的なフォルトライン(分断線)の深さである。

やや誇張すれば、英国人にとって大陸欧州とは歴史的に悪いニュースがやってくる震源であり続けてきた。20世紀を振り返るだけでも、二つの世界大戦、全体主義共産主義という巨大な脅威にさらされてきた。

必然的に、英国と大陸欧州諸国では欧州統合に向き合う姿勢も大きく異なっている。

欧州統合プロジェクトは本来、二度と戦争を繰り返さないという不戦の理念から生まれた政治的なものである。その根幹にあるのは「主権国家は諸問題の解決に失敗した」という反省である。

一方で、英国にとって二つの大戦は売られた戦争であり、「正しい戦争」に勝利して欧州を救ったというプライドはあっても、負い目はない。

1973年にECに途中参加した英国にとって、統合は経済的なメリットを得るためのプロジェクトでしかない。だから、英国は、欧州統合の二大偉業とされる単一通貨ユーロにも、国境審査を廃止するシェンゲン協定にも参加せず、「特別な地位」を享受してきたのである。

問題への対処を怠った既成政党

世界が注視する中で行われた国民投票投票率72.2%)の結果は、大方の事前予想が外れ、離脱支持が残留支持を4%弱上回るものだった。詳細な結果分析は控えるが、特徴的なポイントを挙げると以下のようなものだろう。

・若者層に残留支持が多く、高齢者層に離脱支持が多い
・地域的にはイングランドで離脱支持が優勢で、スコットランドでは残留支持が多数派を占めた
イングランドでは首都ロンドンは残留支持が多数派で、北東部の工業地域など地方では離脱支持が優勢だった

 

上記の特徴を一括りにするなら、国民投票は「地方的ナショナリズム」と「都市的リベラリズム」の対立だったと言えるかもしれない。

いずれにせよ、離脱の結果が出た最大の要因は、欧州移民急増に対する国民の不安だろう。

しかし、問題の本質は、英国への欧州移民が3倍に増えたという規模の問題ではないように思う。筆者には、英国が門戸を開きながらも、移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、一方で国民の不満の声を放置してきたことこそが問題の本質のように思えてならない。

英国政府は、移民の低賃金労働(搾取)を看過し、「移民に仕事を奪われている」という労働者層の不満、医療や教育、公共住宅など公共サービスの低下で不満を強める国民の声と真剣に向き合ってこなかった。

また、移民を受け入れることの経済、財政、文化的なメリットや、EU加盟国であることのメリットも十分に説明してこなかった。政治家の重要な役割である「国民への教育」が欠如していたのである。

こうして、EU離脱を掲げる英国独立党などポピュリスト政治が台頭する社会的土壌が生まれ、それが、大英帝国の歴史への誇りを背景にしたナショナリズムの盛り上がりと一体化。国民が現状への不満を国民投票にぶつけるという今回の事態を招いたのである。

英国のEU離脱の引き金がいかに引かれたかを見極めるとき、そこに浮かび上がるのは、移民問題をタブー視してきた労働党や保守党など既成政党の姿勢である。イギリス政府が門戸開放の一方で、それに見合うだけ、国民の不満にもっと声を傾けていれば、投票結果は違っていたかもしれない。

英国は元々、移民に寛容な国だった。第二次大戦後、旧植民地からの移民にはイギリス国籍を与えてきた。「英国民とは誰か」と問うとき、「英国王の下に集う人々」と言うほどオープンであり、英国に住む英連邦(旧植民地など加盟約50カ国)の住民には選挙権を与えているほどだ。

その英国が極めて短期間に不寛容な国へと変質し、経済的な損失を覚悟の上でEU離脱という「自傷行為」に走ったことは、世界への大きな警告として受け止めるべきである。

英国EU離脱が発する警告

英国は欧州統合プロジェクトの初の脱落国家となった。

英国人は本来、保守的な国民である。急激な改革ではなく、漸進的な進歩を求める人たちだ。それだけに、多くの予測に反してEU離脱という過激な民意が示されたことは一層衝撃的である。

このことは国際秩序の視点から見て何を意味し、どのようなインパクトを与えるのだろうか。簡潔に俯瞰してみたい。

筆者がまず強調したいのは、グローバリゼーションという大状況の下で、エリート層と庶民層では社会、世界の現状が異なる「プリズム」を通して見えているということだ。

だから、オバマ米大統領IMF、世銀といったエスタブリシュメント層がいくら離脱に伴う「経済的損失」や「国際的な地位の低下」を強調しても、功を奏さなかったのである。

結果をめぐっては、「EU離脱の意味を十分に考えずに感情的に投票して後悔している英国民」「離脱派の扇動にだまされた英国民」というステレオタイプが外国メディアで広く流布された。確かにそういう人たちもいたのだろうが、それが多数派だということでは決してないだろう。

最終盤での「ユーガブ」社の世論調査では、最も重要な争点として32%が「英国の独立や主権」を挙げてトップになっている。「感情的に投票して後悔している英国人」を一般化する見方は、議会制民主主義を育んだ英国の国民に対する侮辱である。

留意すべきは、経済のグローバル化による恩恵を受け得るエリート層と、国際競争により雇用喪失や賃金低下の脅威にさらされる庶民層の間のパーセプション・ギャップ(認識の違い)が拡大しているということだ。

それは、例えば、離脱に伴う「GDP3.3%の低下」の意味を想像できるかどうか、移民増加の具体的な影響を実感できるかどうか、といった違いである。

中産層の縮小と格差拡大は先進国に共通するトレンドであり、米大統領選における「トランプ現象」よろしく、どこの国でも反エスタブリシュメントの流れが加速している。

こうした動きは、表面的には感情的な行動の結果と映るかもしれないが、根底には世界の在り方、問題の原因が違って見えているという、より深刻な問題が潜んでいるのではないだろうか。

英国の国民投票の結果を、「理性的なエリート層」と「感情的な庶民層」の対立で捉えるだけでは十分ではない。

英国の国民投票が発した警告の一つは、グローバル化がもたらすさまざまな危機に対応する上で、まず優先すべきは、パーセプション・ギャップをしっかり把握する必要があるということである。

 

エリート主義の敗北

次に指摘したいのは、英国のEU離脱決定は、欧州統合プロジェクトにおける「エリート主義の敗北」であるということだ。

欧州統合プロジェクトは冷戦終結後、政治統合へ大きく舵を切った。しかしその内実は、器は立派にしても、各国国民に「EU市民」のアイデンティティを芽生えさせることのない、民意を置き去りにしたものとなっている。

EUの創設を定めた1992年調印のマーストリヒト条約はそもそも、フランスでの承認を求める国民投票でわずか51%の支持しか得ていない。統合の旗振り役であるフランスにおいてでさえ国民の半数しか支持していないにもかかわらず、エリート層が強引に推進してきたのが近年の統合プロジェクトの実態である。

 

その典型は、1999年の単一通貨ユーロの導入だろう。

金融政策は加盟国で統一しながら、財政政策は各国でバラバラという構造的な大欠陥は、ユーロ危機の発生後、厳しく批判される。しかし、エスタブリシュメント層はそれまで、ユーロを欧州統合という理想の輝かしい象徴としてアピールしていたのである。

〔PHOTO〕gettyimages

イギリスの国民投票は、EUの政治家、エリート層への強烈なウェイクアップ・コールになった。EUのトゥスク大統領(欧州理事会常任議長)は英国での国民投票の結果を受け、こう語っている。

「完全な統合を急ぐという観念に取り憑かれ、我々は庶民、EU市民が我々と(統合への)情熱を共有していないということに気付かなかった」

EU首脳がここまで率直に反省の弁を述べたのは初めてだろう。

色褪せるヨーロピアン・ドリーム

英国の離脱決定で、相互依存を深める世界で国境のない新たな統治モデルを築くという「ヨーロピアン・ドリーム」は色褪せてしまった。

EUは1957年のローマ条約で「統合の深化(ever closer union)」を指針に掲げているが、当面その見通しは立たなくなった。

なぜなら、統合深化のイニシアチブには強固で安定した国内政治基盤を持つリーダーが必要だが、各国ともポピュリスト政党が台頭し、予想し得る将来に渡って主要国でそのような指導者が現れるとは想定できないからだ。

逆に、EUの将来をめぐってはフランスやイタリアなどで同様の国民投票を求める「ドミノ現象」が起きる、EUは解体に向かう、というシナリオも語られている。

そこまでの連鎖反応を起こすかどうかは別にしても、世界5位の経済力とEU最大の軍事力を持つ英国の離脱がEUの国際的影響力を低下させ、今後の方向性に多大なインパクトを与えることは間違いない。

欧州統合は元々、知恵に長けたフランスが戦争責任のトラウマから脇役に徹しようとするドイツの経済力を利用して牽引してきたプロジェクトだった。そこに現実主義、合理主義を信条とする英国が途中参加し、EU市場経済化や外交・安全保障面でイニシアチブを取ってきたという経緯がある。

EUの方向性は、「ベルリン=パリ=ロンドン」のトライアングルの微妙なパワーバランスの上で決められてきたのである。

しかし、EU最大の経済大国であるドイツはユーロ危機を契機に名実共に欧州の指導的地位に置かれるようになる。その上、英国がいなくなれば、フランスの影響力低下とあいまってドイツの存在感ばかりが高まってしまう。

ショイブレ独財務相は独誌シュピーゲル(6月10日号)のインタビューでドイツの苦悩を次のように語っている。

「人々はいつもドイツにリーダーシップを求める。しかし、ドイツが指導力を行使した途端に我々は批判されるのである。EUは英国がいることによってバランスがとれていた。英国が関与すればするほど、欧州はうまく機能してきた」

欧州各国の「ドイツ恐怖症」は今も消えていない。またしても欧州につきまとう「ドイツ問題」という亡霊の登場となるのか。

二度の大戦を引き起こしたドイツを押さえ込むことが目的だったはずのEUは、その存在意義がパラドックス化しかねない危うさを内包しながら、統合プロジェクトの管理を模索することになりそうである。

EUの事実上のリーダーであるメルケル独首相が投票結果を受けた記者会見で、「英国民の決定を残念に思う。欧州と欧州統合プロジェクトにとって今日は分水嶺となるだろう」と悲壮な表情で語っていたのが印象的だった。

英国のEU離脱が、統合プロジェクトの一時的な揺り戻しで終わるのか、それとも逆行の始まりになるのか。戦後70年にわたって進められてきた歴史的な実験はまさに分岐点にあると言えるだろう。

英国が示すべき新たなモデル

最後に、英国の今後について触れておきたい。

英国では国民投票の結果を受けてキャメロン首相が辞任し、テリーザ・メイ前内相が2016年7月13日に新首相に就任した。

テリーザ・メイ首相〔PHOTO〕gettyimages

英国内には新たな国民投票の実施や解散総選挙で是非を問い直すことを求める声もあるが、メイ首相は早々と「離脱は離脱だ。EUに留まろうと試みることはないし、裏口から再加盟することを試みる考えもない」と明言。

 

2016年10月の保守党の年次党大会で2017年3月末までにEU基本条約(リスボン条約)50条に基づき離脱を通告すると表明した。

その後、離脱通告をめぐり事前に議会承認が必要かどうかを争う法廷闘争が起こされ、英最高裁は1月にも判決を言い渡す見通しとなっている。

裁判の行方は不透明で、離脱問題に影響を与える「サプライズ」の可能性が排除されている訳ではないが、この議会承認の問題がクリアされて離脱通告が行われれば、英国とEUは2年を目処に交渉に入ることになる。

英国内では「移民管理の権利を取り戻す一方で、単一市場へのアクセスは現状を維持する」という都合の良い離脱論が根強い。これに対し、EU側は欧州統合の基本理念である人、物、金、サービスの「4つの移動の自由」で一切の妥協を排除しており、移民規制を行うなら「EUから出て行け」という姿勢だ。離脱交渉に入れば、難航は必至と見られている。

英国はEUとの新たな関係をどう構築していくのか。その将来像は全く見えないが、メイ政権に課せられた使命は、経済のボーダレス化と国民の福祉・幸福のバランスを図り、EUとの相互互恵的な関係を築くことである。

その意味で、英国の模索は、理想の実現を急ぎすぎた欧州統合プロジェクトの失敗の経験から学び、より現実主義的な「開かれた国家」を目指すものとなるだろう。

現代の世界では、どこの国にとっても対外関係の在り方は大きな課題である。英国の進路が、グローバル化する世界における国家主権、対外関係の在り方に一つのモデルを示すことを期待したい。

(*この原稿は「アジア時報」9月号に掲載されたものを加筆修正したものです)

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笠原敏彦氏には以下のようなイギリスに関する本もある。

 

ふしぎなイギリス (講談社現代新書)

ふしぎなイギリス (講談社現代新書)

 

 

 

以上のような、3つの記事を念頭に置いて、今日のニュースを聞けば、もっと客観的に情勢を判断できるものと思い引用させていただいた。